「一票一揆 自民党神奈川の乱〜小泉総理誕生の軌跡〜」

一票一揆 自民党神奈川の乱~小泉総理誕生の軌跡~

一票一揆 自民党神奈川の乱~小泉総理誕生の軌跡~

戦後3番目の長期政権になった小泉政権。その誕生の背景には小泉純一郎の地元神奈川自民党県連の戦いがあった。しかし、両者は意図的に結びついていたのではなく、むしろ当時の県連トップと小泉純一郎は折り合いが悪かったのである。

神奈川県連では00年12月、公選により(といっても他に候補がなく無投票)、会長に梅沢健治県議会議員が就任した。森政権が行き詰る中、派閥政治に怒りを持つ梅沢ら神奈川県連は本格的な総裁選を実施し、派閥議員ではなく党員票の力を高めることを求めていた。しかし、自民党党本部は、最大派閥橋本派の意向を受け、国会議員票を中心とする案を出した。結局、本格的な総裁選ではなく、各県連に国会議員票よりも少ない地方票が与えられるだけになった。党員に投票の機会を設けられず申し訳なさを感じた梅沢だが、県連独自の「予備選」実施をひらめき、「(予備選の費用を)県連で出す。足りなきゃぼくが出してもいい」と突き進む。

一方の小泉純一郎加藤紘一山崎拓YKK田中真紀子らの応援団を得て過去2回の総選挙出馬時よりも国会議員の支援は増えてはいたものの、橋本派の壁は厚く、「最大の味方」は地方票=予備選挙=党員票=世論であった。

予備選実施を決めた神奈川県連。事務局には、全国各地の自民党県連から予備選のやり方について問い合わせが入った。この地方の動きを警戒した党本部は神奈川の翻意を図るが、梅沢らは党本部に不信を抱いていて受け付けない。予備選は全国に広がる。

神奈川県では小泉は得票率77%を獲得、全国でも地方票141の内123票を得た。予備選での小泉の圧倒的な勝利の中、国会議員の投票が行われる本選実施前に橋本派は敗北を宣言し、実質的に小泉総裁の誕生が決まった。

小泉の重複立候補を巡り言い争った二人であったが、小泉が「予備選が追い風を起こしてくれました。ありがとうございます」を梅沢に謝意を表し握手を交わした。



以上が僕なりのまとめです。
小泉総理誕生の背景に、自民党という枠内ではあっても地方からの反乱があったとは知らなかった。
自民党の地方組織というと各国会議員の後援会や系列議員が中心で自律性は低いとも考えられるかもしれないが、地方に根を張った議員さんや党員がいて時には中央にもたてつく。郵政選挙で中央が放った刺客候補を唯々諾々と応援しなかったように、地方には地方の意思があるのだ。