授業中の私語

授業中の雑談で出てきた話を聞いて昔を思い出した。
その先生は「教員生活十数年間でも珍しいほど、この授業は静かである」とのたまう。100人ほどのクラスだが、私語などほとんどなく確かに静かである。この先生は、授業中に雑談を適宜入れてくれて、なおかつ、その雑談が退屈でないという、90分も到底集中できない私には良い先生なのである。例えばこんな風な雑談をする。大学(=赤門とかがあるあの有名大)の法学部に入ったが、教授の言うことを一字一句ノートに取る人や、全授業レコーダーにとって何度も何度も聞き返す人のようなガリベンばかりで、イヤになって、法学部には進まなかったことを、彼らエリート法学部生を若干馬鹿にしながら語るのである。

さて、本題であるが、この先生が、はじめて教員になった大学は某マンモス私大だったそうな。当然、何百人も入る教室で講義することになる。そこでは、授業を聞きたくてやってくる学生以外の学生が多いため、私語が大変多かったそうである。実は私自身も、この大学にいたことがあり、そのうるささは経験している。余談だが、私がいたころは、携帯や携帯可能なゲームをし、授業そっちのけで、自分たちの世界に没頭するひとも多かった。
その先生は、自分の授業を聞いてもらえないことにストレスを感じて、精神科などいろいろな病院にいって薬をもらうまでになってしまったらしい。聞いているこっちも周りがうるさいのは相当ムカつくストレスだが、話している先生の方が苦しいとは思っていなかった。それどころか、先生は何故注意せんのやと思っていたくらいである。おそらく注意してもどうせ静まらないことを知っているから、無駄なストレスを溜めないため、注意しないのであろう思われる。

私はそういう学生のうるささとあまりの不真面目さに耐えかねて今の大学*1に再入学したが、今の大学でもそういう人間はいるが、数と比率が違いすぎる気がする。
その先生はこのままでは自分がおかしくなると思ってその大学を早く出たという。しかし、大抵そういうマンモス大は給料が良いので、そこを気に入っている先生もいるらしい。随分図太い神経の持ち主もいるのだなと思う。

言いたいことは、大学改革に成功したとかいうマンモス私大に、勉強したくて入学するなら、それなりの覚悟が必要だと言うことである。それと、大学教員を目指される方には、神経が図太いかよほどお金が好きでないなら、大学を選べる身分になって規模の小さいところに行かれるべきかと思う。

*1:幸いにして人数のそれほどは多くないところ