戦後保守政治家の「私の履歴書」

 岸信介河野一郎福田赳夫後藤田正晴田中角栄中曽根康弘。いずれも、戦後日本を代表する保守の政治家であろう。「私の履歴書」というと、人生の最終段階になって過去を振り返るイメージがあり、彼らの人生の回顧を期待して読んでみた。が、この履歴書は必ずしもそういう段階で書かれたものではない。総理就任前であったり在任中であったりして、現役時代に書かれたものを含んでいる。だから、少し期待はずれだったが、内容はとてもおもしろかった。
我妻栄と岸が東大で首席を競っていたという話を耳にしたことがあるが、岸の履歴書によると二人は一緒に高文試験の準備をする仲だったらしい。犬猿であったろうと思っていたので、ある意味真逆のイメージの二人がそういう仲であったというのには少し驚いた。
福田と永田鉄山が懇意であったというのは意外だったが、永田軍務局長が切られて直ぐに陸軍省に飛んでいったというのだから相当の仲だったのだろう。
他にもおもしろいエピソードがあったが、彼らの「私の履歴書」を読んでいて思ったのは、今の政治家、特に最近話題の世襲政治家*1には彼のように書くに足る、読ませるに足る話があるのかということだ。もちろん第二次世界大戦と敗戦からの復興という強烈な力を持った時代に彼らが生きてきて、彼らの「履歴書」にいい意味でも悪い意味でも影響を与えているのは事実だろう。しかし、例えば先々代の総理なんかはどういう履歴書になるのだろうか。大学出て、会社に入り、パパの秘書になって国会議員。運よく総理にまでなったものの、健康問題で突然辞める。そりゃ、うちに秘めた履歴があるのかもしれないですが、もしあの方が書いても(前総理もだが)、あんまり読む気がしないのは世襲の弊害なのか、それともただ単にご本人たちの個性なのだろうか。まあ、私の気のせいなら良いのですが・・

*1:いくら三バン(地盤、看板=知名度、鞄=お金)を親から譲られても、選挙という有権者の選択を経ている以上、「世襲」と表現するのはおかしいと思っているが、ここではこの表現を使う。