新書「住民投票」

住民投票―観客民主主義を超えて (岩波新書)

住民投票―観客民主主義を超えて (岩波新書)

産廃以外に思い当たる節はありません。物事を暴力や脅しで解決しようとする考え、邪魔者は殺せという発想は絶対にに許されるべきでない。(中略)住民投票を実施して御岳町民の民意を明らかにし、それを尊重したい」 P79

産廃建設に反対し、住民投票の実施を求めていた柳川喜郎御岳町長が自宅マンションで襲われた約一ヵ月後の退院会見で語った言葉である。暴力に屈せず、有権者全体の約7割の反対投票で民意を表明した町民と町長に敬意を表したい。本書はこのような実際に住民投票が行われた事例や行われようとした事例をジャーナリストである著者がまとめた本である。
地方政治において首長と議会議員という二種の代表を有権者は選んでいる。前者は一人区、後者は複数区の選挙区から選ばれるから、当選戦略上、政策関心や選好には差異が生じ、ねじれが起こる可能性がある。相互抑制的で良いとも思うが、ある争点が両者の対立によって進まない時に、最終判断としても住民投票は使える手段だと思う。
両者は間接民主主義体制を担う政治アクターであり、両者ともに正統性がある。有権者は、多岐にわたる政策上の争点を判断するための時間も知識も意欲もない。そこで代理人として代表を選出し、彼らに政治の運営をまかせているのである。二種の代表は通常4年毎に選ばれるが、彼らは政党あるいは個人を基準にして選ばれている。対して、住民投票は具体的な政策の是非を判断するものであり、その性質は異なる。某大臣は「住民投票は民主主義の誤作動」と述べたらしいが、確かに全ての争点を住民が一々決めるのなら、住民にはそんな能力はあるはずないから、衆愚政治がはびこるだろう。だが、住民投票はある特定の争点に対して、住民が判断するものである。普段首長や議会に代理させている政治に納得できないときの監視機能として、あるいは選挙では反映されにくい民意を表すために、住民投票を使うだけなのである。だから、住民投票は間接民主体制で、補えない部分や代表への監視として働きえるし、住民の過半数の意見を無視する正統性を首長や議会は持ち得ないのだから、住民投票は間接民主主義にとってもいい制度だと思った。