「政治主導」っていう言葉への違和感

政治主導を確立することで、真の民主主義を回復する。」と民主党マニフェストに書いてあります。この「政治主導」という目標を達成する手段として、大臣や政務官などとして政府に100名以上の政治家を入れて、政策を立案・決定するんだという方法が掲げられています。

つまり民主党の「政治主導」ってのは、首相を中心とした内閣が政策に力を持つ「首相主導」「内閣主導」を想定していると考えられます。

日本の政治学では、政党と官僚のどっちが優位?って論争*1がありますが、どちらかという政党優位説の方が説明力があるのではと思っている私としては、首相とか内閣とかいう言葉ではなく、何故あえて「政治」主導という言葉なのか思うわけです。

従来の自民党政権では各省庁に対応している政調会の部会や調査会という党内組織がボトムアップ式な政策形成をやってきた。つまりミクロな部分からの積み上げが「予算」になって国家全体としては妥当性を欠く政策がなされてきたという側面がある。
あるいは、族議員と呼ばれるある政策領域で影響力を持つ政治家が内閣の政策に「拒否権」を持つ存在として影響力を持ってきたために、内閣が決めたあるいは決めようとした国全体を見て有益な政策が実行されなかったり歪められたりした。

官僚も各省の利益を守るために部会や族議員を利用したり利用されたりして、内閣以外の自民党政治家と関係を築いてきた。でも、私は国会という唯一の決定機関を握る政治家に官僚は究極的には従わざるを得ないのだから、その自律性はあくまで政治家の手の内だったと考える。つまり自民党政権でも内閣以外の政治家も力を持つ「政治主導」は実行できていたのである。

だから、民主党が「政治主導」って言葉を使うのはセンスがないと思う。自民党のように閣外の政治家が政策を歪めて全体益を損なわすシステムを改め、イギリスのように党内部ではなく内閣に絶対的な力を持たせるなら「首相主導」「内閣主導」って言葉の方が良いはずだ。

でも、「首相主導」「内閣主導」ってのは民主党の専売特許でない。小選挙区制導入や橋本龍太郎の省庁再編・経済財政諮問会議創設で首相への権力集中の下支えができ、小泉純一郎という孤高の天才が「郵政解散」「聖域なき構造改革」で「首相主導」の実績を残したように自民党もこれらの方向に向かっていたのである。民主党の主張はこの流れに沿うものであって、むしろあの小泉政権でもやかましかった自民党の族のセンセイ方を完全に黙らせて「首相主導」体制を完成させる最終地点なのかもしれない。

*1:官僚優位:辻清明、政党優位:村松岐夫が代表的な論者。両者が完全に対立的な概念ではないと思う