政党政治と天皇という本

政党政治と天皇 (日本の歴史)

政党政治と天皇 (日本の歴史)

 著者は近現代日本政治外交史を専攻する京大教授。
 この本は講談社から出版されている「日本の歴史」シリーズの一つで、大正から昭和初期(斎藤実内閣成立まで)を書いたもの。
 最近(といっても出版は02年だが)の研究にも触れつつ、しっかりとした書き方で政治史を描いている。
 ただ、時系列に必ずしも沿っていない部分がすこしあるので、若干注意が要る。

 以下、興味深かった点を自分なりに記したい。
第二次護憲運動護憲三派の一端を担った政友会が普選すら政綱として掲げられなかった。その理由を、著者は党内再分裂(これより前に清浦内閣への支持を巡って、政友本党に分裂)を避けるためとしている(6章)。
 私は、護憲三派はデモクラシーへの流れの中でその根本ともいえる普選くらいは一致していたのであろうと思っていた。政友会の態度は、非選出勢力である貴族院をバックに持つ清浦から権力を政党側に取り戻そうという政争で、デモクラシーの実現は二の次ということか?しかし、普選を掲げた憲政会が総選挙で勝ったので有権者は普選を望んでいた言える。そのため、加藤高明護憲三派連立内閣で政友会は普選を認めることになるのだが。
統帥権の内閣からの独立というと、軍部(省部以外の)の持っていた力の源泉という印象がある。しかし、兵力量の決定は国務大臣の輔弼外という解釈は少数派だったらしい(8章)。ロンドン軍縮条約を巡って、海軍強硬派や政友会は統帥権干犯といって、政府を批判するが、あえて少数説に立ってまで、政友会が政党勢力の力を弱めかねない言動を取ったのはなぜだろうか。選挙による政権交代がシステム化していない状態で、現政権の失政が自らの政権復帰につながるというのは分かるが、政友会にとってデモクラシーの発展は二の次だったたのか。それとも、政治家は性質上選挙を重要視する職業である以上、政友会の態度が有権者の意向を意識したものならば、護憲運動での盛り上がりが限定的or非継続的であったのか。

概説本でなく、各テーマを扱った本or論文で、詳しく学んでみたい。