新書「ハル・ノートを書いた男」

日米開戦外交と「雪」作戦 ハル・ノートを書いた男 (文春新書)

日米開戦外交と「雪」作戦 ハル・ノートを書いた男 (文春新書)

この本は、日米交渉を取り上げて、米国の対日姿勢にはソ連による工作の影響を検討している。入門書とは必ずしもいえない気がするが、戦争に至る日米交渉から得られる教訓を考えるのに読んでも良いだろう。

1941年12月、日本は真珠湾を攻撃し、米国との戦争を開始した。いわゆるハルノートというのは、日米開戦前に米国から示された交渉案である。日本では国務長官コーデル・ハルの名からハルノートとして知られている。当時の日本の為政者たちはこの案を米国側から発せられた「最後通牒」だと見なし、日米関係は外交交渉から戦争へと至った。東京裁判でのパール判事の「ハルノートのようなものを突きつけられればモナコでもルクセンブルクでも立ち上がっただろう」という言葉を引用し、戦後日本人の中に最後通牒性を主張する人がいたように、アメリカの非妥協的な姿を物語るものとしてハル・ノートは認識されてきた(と思う)。しかし、ハル・ノートに込めた米国の意図は必ずしも最後通牒を意味してはいなかった。本書によれば、ハル・ノートのCHINAという文言を日本側は満州を含むと理解したが、「CHINA」には満州は含まれていなかったと理解するのが妥当らしい。つまり、米国の意図は日本が認識したほどは強硬ではなかった。満州への理解のギャップが埋められただけでは開戦が避けられたとは言えないが、交渉の妥結可能性は高まったであろう。