神戸市長選

総選挙から1ヶ月を経過し、毎日のように民主党政権の記事が新聞にデカデカと掲載されております。ダム、国連演説、中小企業モラトリアム、故人献金政治資金でキャバクラ・・・。いろいろと噴出しておりますが、私の注目は神戸市長選挙
矢田立郎(たつお)という助役上がりの現職市長が3選目を目指しています。矢田氏は1選目(2001年)は

有権者数1,178,862(投票率 38.14%)の中、 自民、公明、民主、保守の4党の推薦を受け、共産、新社会の2党が推した木村しぎょう氏らを、

 矢田立郎(無・新) 209,681
  木村史暁(無・新) 118,893
  吉田順一(無・新) 60,904
  池上徹(無・新) 38,645
  上野泰昭(無・新) 14,189

のように圧倒しました。2選目(2005年)も、有権者数1,226,525(投票率30.23%)の中、自民、公明、民主、社会の4頭の推薦を受け、共産党が推した瀬戸恵子氏らに、
 
 矢田たつお 198,661
 瀬戸恵子  105,780
 松村つとむ  56,903
と、これまた圧勝。しかし、他の候補は矢田氏の半分以上の票を得ている者もあり、主要政党相乗りの矢田氏に対しよく頑張ったあるいは有権者が相乗り候補への不満を非矢田候補に(当選するとは思っていなくても)入れる事でその意思を表明したとも考えられます。神戸新聞によると、2005年の市長選挙では、

民主支持の半数、社民支持の七割が瀬戸、松村の二氏に投票

という出口調査の結果が出たらしく、当時の野党支持者からの反発あるいは不支持というのはあった模様。

さて、2009年の市長選挙。矢田氏が3選出馬を表明し、IT企業役員の顧問の樫野孝人氏と共産党の松田隆彦氏も出馬表明。矢田樫野両氏は政権党民主党に推薦を依頼する。さて、民主党はどうするのなかと思っていたところ、小沢一郎幹事長がわざわざ来神し、矢田氏の「単独推薦」を決定。これに対し樫野氏は、自身のブログで、

神戸市長は民主党が選ぶわけじゃなく、
神戸市民が選ぶはずです。

絶対、この暴挙を止めないと、ホンマに神戸はダメになる。
こんな市民を無視した行為を続けさせたらアカン。

と書き、民主党を批判。堺市長選挙でも絶大な力を見せ付けた橋下徹大阪府知事らの「首長連合」に支援を要請するも、「与野党相乗りは回避された」とにべもなく断られる。

矢田氏に拒否された自公も独自候補擁立の動きはなく、自主投票の見込み。



神戸市長といえば宮崎辰雄(5期)・笹山幸俊(3期)と助役上がりの市長が何十年も続き相乗りオール与党型の選挙だったようですが*1、相乗り→民主単独ということで、政権を握った民主党の力が増しているのが分かります。もともと「相乗り禁止令」を出していた民主党ですが、民主推薦の新人擁立*2とかはありましたが、相乗り現職首長が民主党単独候補に転換という事例は見たことがなく、やはり政権党ってのは地方政治にも大きな影響力があるんだなぁと実感。



しかし、仮に矢田氏が勝っても市会与党民主党は17/69しか議席を取っていないので、仲間はずれにされた自公がこれまで通りの距離感で矢田市政に臨むとは考えにくく、市会運営が厳しくなるのでは思う。

これからも、こういう事例が出てくるでしょうから、各地の首長選には注目したい。


これまで通り、投票率が30パーセント代では、組織票がものを言うのは目にみえているので、民主・労組(連合)を味方につけた矢田氏有利は確実な情勢。投票率UPのため「浮動票」を選挙に行かせることが鍵になるだろうが、首長連合という票よせパンダが来てくれなくなった樫野氏がどういう選挙戦術で臨むかも見ていきたい。

*1:宮崎氏の2選目は自民党元代議士の砂田重民と社会公明民社共産の革新四党推薦の宮崎辰雄の対決で砂田24万票、宮崎29万票の熱戦に。3選以降は自民が宮崎推薦に復帰

*2:ex北九州市

岡田氏元秘書(現県議)の岡田評

側近県議が岡田克也外相のことを語っていたのが面白かったのでご紹介します。

(伊勢新聞9月27日朝刊)

岡田氏の秘書を七年余務め、今回の衆院選でも党幹事長として全国を飛び回った同氏に代わり、3区の岡田事務所を仕切った三谷哲央県議会議長(新政みえ、四期、桑名市桑名郡選出)。岡田新外相の人となりを聞いた。

 昭和六十三年の衆院選前ですかね、自治大臣とかやられた山本幸雄先生(自民)の秘書だったんですが、先生から岡田さんのとこへ行けと言われましてね。平成七年の県議選に出るまで、岡田事務所にいました。

 岡田さんの第一印象は、「ジャスコのお坊ちゃま」だから、軟弱で金遣いも荒いんだろうと思っていたんですが、全然そうじゃなくて。まじめで金遣いも荒くなくて、むしろ渋ちん。きちんとしている。意外でしたね。

やはり、お金に厳しいんですな。今じゃそのイメージが定着してますが、イオンみたいな大企業の御曹司と聞けば羽振りが良いと思うのが自然で、金満という政治家に相応しくないイメージ(?)を持たれると良くないから(別に前総理のことを言っているのでない)その反動で「渋ちん」なのかもしれません。

一回目の選挙からかかわりましたが、あのころは人の言うことも素直に聞きましてね(笑)。選挙区を一軒、一軒歩いて回りました。小沢さんがよく言うところの、何万軒歩けという、どぶ板選挙をやったわけです。雪の時も一軒、一軒回って、いまでも「あの時、岡田さんがわざわざ家まで足を運んでくれた」と、覚えてる方がいるほどです。

 考え方が合理的でね。「朝の忙しい時間帯を狙って行けば、家に上がることもない。効率よく回れる」と言いましてね。朝のうちに回りました。

朝の忙しい時を狙うというのはどうですかね? 回られる方は忙しい時に来られては迷惑ですが、忙しくない時に行って中に上がらされて何時間も拘束されるのは回る方が迷惑なので、確かに朝狙いは合理的です。しかし、「忙しい時にきやがって」という風な逆効果もあるでしょうし、あまりに短時間では印象が残らないというのはないのでしょうかね。

そういえば、ブログに握手は良いが一緒に写真とると時間がかかって困るのようなことを書かれていましたが、これも合理主義者であることを表わしてます。しかし、できるだけ多くと握手するというのはわかりますが、「なんやあの人は写真も取ってくれへんだ」などと僻む感情的な反応もありえるかと。写真を全部撮らないわけではないしょうから、「あの時あの人とはとってたのに、なんで私とは取ってくれないんや」ということもあるでしょうが、まあ大したことではないか。

一番大切にしているのは、家族への愛。麗しいほど。奥さんや子どもへの思いが深く、「一番大事なものは家族」と公言してはばからないですね。選挙中でも、きちっと休みを入れて、家族との時間を大切にしている。

 最初の衆院選の時は単身赴任だった。集会で上がり込み、靴下に穴が開いてるのが印象的でした。人への頭の下げ方も角度がすごい(笑)。一八〇度くらい下げる。さすが、商売人の子だと感心しました。

 おしゃれでね。スーツは高島屋のもの。これには訳があって、高島屋は昔から上下別サイズのものを組み合わせて買える。岡田はケツがでかくて、下半身ががっしりしている。だから、高島屋のものを愛用してますね。あと、かばん。米国のTUMI製で、時々買い換えてますね。

選挙中も休日を入れるとは余程家族思いなんですな。家族も幸せに出来なくて国民を幸せになんか出来ないということですかね?
しかし、岡田先生の靴下に穴とは、全然想像がつきません。

 よく原理主義者、軸がぶれないと言われますが、というより頑固。言いだすと、聞かない。人の意見を聞くが、自分の結論の補強的意味合いが強い。結論は、すでにあるんですね。

自分のペースというか、スケジュールを守る。いまでもそうだと思うんですが、三カ月先までスケジュールはびっしり。イレギュラーは入れない。結局、周りがそのスケジュールに合わせざるを得なくなる。

つまりかなりツワモノの原理主義者ということですな。これが、外務省という伏魔殿でどういう結果に繋がるのかやや心配です。

 「総理の器」だと思います。秘書になって、一回目に当選したころからかな、いろんな言動を通じてそう思いました。例えば、小沢さんらと改革フォーラム21をつくって、自民を飛び出す飛び出さないとすったもんだした時も、「徹底してやるつもりだ」と言い、その通りにした。以来、ずっと野党暮らしで、私もその時までは自民党員だったんですけどね(笑)。

 しゃべりはあまりうまくないけど、中身がありますね。最近は富にその傾向が強い

あのまじめなしゃべり方が良いですよね。べらんめぇ口調の中身がない総理とかよりはよっぽど良いです。



鳩山政権が内政で躓いても外相である岡田先生の責任は問われ難いと、とあるお方がおっしゃていたので、鳩山さんがダメなら次の総理の可能性が高いでしょう。是非上手く外交をして頂いて、三重県初の総理になって日本を良くして頂きたいです。

「統計でウソをつく法」

統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 (ブルーバックス)

統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 (ブルーバックス)

統計の話なのに数式は全然出てこなかったので読みやすい。が、古さや外国の本であることや訳の仕方にやや戸惑うところも。

印象深かったのは「平均」のはなし。算術平均(合計÷個数)ならA「600、500、400、300、200(=2000)」でもB「1200、400、300、50、50(=2000)」でも同じ「400」が平均。だが、Bの場合、最大の1200を抜けば算術平均はたったの「200」であり、1200という飛びぬけた数値の影響がわかる。
こういうように算術平均は見かけは同じでもその構成が全然違うことがあるのだ。

上の例に万円をつけて平均年収と考えるとよりわかりやすい。Aは最大でも400万円の格差しかないが、Bなら1150万円もの格差がある。だから職業選択のときには平均年収だけで判断するよりもその構成に目を向けるべきだろう。


「平均」には以上の様な算術平均の他に、構成している数値の真ん中を取った中央値(Aなら400、Bなら300)や、一番たくさん出てくる最頻値(Aなし、Bなら50)というものもあるので、「平均」という単語を見ただけで早合点しないことが大切。

民主党は最賃の全国「平均」を1000円にすると言っているがどういう平均像なのか?
算術?中央値?最頻地?  はたまたどういう構成を描いているのか?

角栄の動画

列島改造 田中角栄の挑戦と挫折」という動画があったのでご紹介。
活字では読んだことがあったあの議員・あの官僚・あの秘書などなどのしゃべる姿が見られてうれしかった。
「政治主導」っていう言葉が流行ってますが、政治家田中角栄が持っていた官僚への影響力はやはり凄かったのだなと再確認。まあ、こんな人がいては首相への権力集中は難しかったでしょうな。
角さんが総理になって「局長以上の人事は事前に官邸の了解を取れ」と言っていたとは知らなかった。

新書「昭和の代議士」

昭和の代議士 (文春新書)

昭和の代議士 (文春新書)

この本は、原敬内閣(1918)から佐藤栄作内閣誕生(1965)までの代議士たちの動きを述べた本である。複雑な人間関係を辿りつつ彼らがどう行動したのかを丁寧に書いている。

雑考
「政党というのものは対立に意義がある。国民に付いて意見を異にする場合に、政治の責任をお互いに追及する所に、摩擦と相克の間に真理の発見と妥当なる政策の産み出しがあるのである。」腹切り問答で知られる浜田国松代議士が腹切り問答と同じ演説の中で一国一党論を批判し述べた言葉である。時は2・26事件の後、軍部の影響力が増していた昭和12年 (1937) 1月21日である。戦争へと向かうあの時代でもちゃんと複数政党制の意義、つまりは政党政治の価値を訴えていた政治家はいたのである。浜田を含めて尾崎行雄、川崎克、斎藤隆夫、植原悦二郎など議会政治や民主主義のシステムに親和的な政治家たちがあの時代にも存在したのである。

太平洋戦争、敗北、占領改革を経て日本は民主主義の国になったと学校では教えられる。戦争に至る過程において我々の3、4世代前の国民が選んだ政治家たち(女性には投票権がなかったが男子の普選は実現していたわけで、民主的手続きを経て選ばれた政治アクター)があの戦争を協力推進したり反対したり、軍部など非民主的機関にのっかたり抵抗したりした多様な姿というものはあまり教えられていない*1

親軍的だった代議士も民主主義の価値を認め守ろうとしていた代議士も、少なからず戦後再び衆議院議員に当選し重要なポストにつき日本の舵取りを担っていたこともあまり知られない。例えば田中角栄を政界に導いた大麻唯男は戦前東条内閣の大臣を務めるなどおよそ親軍的な代議士でありながら、戦後になっても代議士に当選し鳩山一郎内閣で大臣を務めたのである。絆創膏大臣として有名になってしまった赤城徳彦の祖父赤城宗徳は岸内閣の時に防衛庁長官だった。宗徳は、安保デモが激化するなか岸首相が自衛隊の治安出動を求めても、自衛隊を国民の敵にしないために治安出動に反対した人物であるが、戦前には徹底抗戦派の代議士であった。先に挙げた川崎克は公職追放されてしまい戦後は息子秀二が代議士になった。小泉内閣厚生労働大臣を務め谷垣禎一側近の川崎二郎は秀二の息子である。

つまりは多様な行動を取った戦前の政治家の影響は、戦後直後もあったし、次の総理大臣を含め彼らの2世3世議員の存在を考えると現在に至るまで残っている。だから、日本政治を戦前と戦後で断絶したものとして捉えるのは適切でない。


余談だが、尾崎行雄はもちろんのことだが、浜田国松も川崎克も我が三重県選出の代議士であった。

*1:斉藤隆夫の演説など、反軍的な動きは教科書にあった気がする

伊勢市長辞任 出直し市長選へ

 「民意を問いたい」。凍結状態にある中部国際空港伊勢市を結ぶ海上航路整備事業をめぐり、9日開会の市議会定例会で辞意を表明した森下隆生市長(59)。その後の会見で、同事業は「地域の観光施策には欠かせないインフラ」と推進に意欲を示し、市民に理解を得るため、出直し市長選に臨む考えを明らかにした。

 会見で、森下市長は海上航路整備事業について「課題を抱えながら進めてきたが、(海上航路施設の)浮桟橋の先の見通しが(安全性の面で)悪くなっている」と認めた上で、「一度、市民の皆さんの気持ちを確認させていただく必要があると判断した」とし、民意を問う決断をしたとした。

 森下市長は1期目で、任期は来年4月まである。出直し市長選で当選しても、その任期は残任期間の来年4月までだこの時期の辞職を決断したことについて、不信任決議が提出される動きもあり「9月定例会を乗り切るために」との考えがあったという。

 事業賛成派の市議会会派「新風いせ」の西山則夫幹事長は「やむを得ない。会派としては市にとって良いのか悪いのかという意味で事業に賛成してきた。今でも成功させたい」。

 事業反対の姿勢を示してきた高志会の中山裕司幹事長は「不信任決議が提出されれば、再出馬に向けてダメージが大きいと考えたのでは。市のリーダーとして情けない」と切り捨てた。


中日新聞2009年9月10日

出直し市長選で前職が通っても任期は前の残任期間までなんて知らなかった。条文を調べてみると

地方公共団体の長の任期の起算)第259条 地方公共団体の長の任期は、選挙の日から起算する。但し、任期満了に因る選挙が地方公共団体の長の任期満了の日前に行われた場合において、前任の長が任期満了の日まで在任したときは前任者の任期満了の日の翌日から、選挙の期日後に前任の長が欠けたときはその欠けた日の翌日から、それぞれ起算する。
地方公共団体の長の任期の起算の特例)第259条の2 地方公共団体の長の職の退職を申し出た者が当該退職の申立てがあつたことにより告示された地方公共団体の長の選挙において当選人となつたときは、その者の任期については、当該退職の申立て及び当該退職の申立てがあつたことにより告示された選挙がなかつたものとみなして前条の規定を適用する。

とある。

前職以外が当選すればちゃんと4年の任期であるようだが、この前職に対する特例の目的は何なのだろうか? 
前職は前の残任期間で、他の者は4年間という任期条件の違う候補者を同列に扱って有権者が選ぶというの酷な話。無用な混乱を招きかねない。
選挙という民主制に不可欠な制度において、候補者を差別するのは、「法の下の平等」とかにひかからないのか?